パラリンピックをやるらしい。
コロナが大変なことになっているが中止は難しいよね。
オリンピックだけやってパラリンピックをやらないのはそれこそ差別とか言われそうだし
障害者のためにとか言っているが本当は利権の関係だけれど。
今日は障害者について語ります。
まず、障害者を障碍者とか障がい者とか言いかえるのに何か意味があるか。
「障害」って熟語と言って2文字で意味を持つ言葉なの、そこの「害」だけとって良くない言葉だよね言っているのは間違っている。
私は相手によって態度を変えるという事はほぼない。
それは上司に対しては多少は気を遣うがやり過ぎたりはしない。
逆に言うと相手が障害者だから多少は気を遣うが特別丁寧に対応することもしない。
みんな大体同じような感じで対応している。
大体の相手に対して基本、親切に対応している。
ただ最近一つだけルールを改正して「嫌な奴」にはそれ相応の対応をすることにした。
ちょっと前までは「嫌な奴」にも親切に対応していた。
それは辞めた。
だから大事なのは相手に障害があるかないかではなく、嫌な奴かどうかで対応が変わる。
で、繰り返しになるけれど
「障害」って熟語と言って2文字で意味を持つ言葉なの、そこの「害」だけとって良くない言葉だよね言っているのは間違っている。
相手が障害者でもハッキリ言わせてもらう。

私は障害者に対して何か特別手助けをしようとは思っていないが手伝ってと言われれば普通にやる。
仕事で障害者と関わるようにようになって20年以上経つ。
別に積極的に治療をしようと思っていたわけではない。
千葉の鴨川で分院長をしていた時に私の前の分院長が障害者治療に積極的であったため行っていてたまたまそれを引き継いだ。
栃木県の那須烏山市で開業後、時々宇都宮の歯の健康センターで障害者の治療をしているがこれもたまたまなの。
歯科医師会那須南支部の当時の三木会長の話だが亡くなったのでもう時効だと思って話すけれどある日電話がかかってきた。
「石倉先生お願いがあるのだけれど・・歯の健康センターで障害者の治療を担当してくれない?というのはS先生(当時担当)が石倉が何もしないで遊んでいるじゃないかなんで俺がやるのだよと言って辞めようとするんだ。うちの支部から一人も出さないわけにはいかないのでここは先生も実行委員になってくれない?」
と言われて「たまに手伝いに行く分ぐらいは構いませんよ。S先生は自分の利益にならない事は徹底してやりませんからね(笑)」と言って承諾した。
自分から積極的にはしないが頼まれればやる。
で、たまに行っている。
で、たまになら良いのだが歯の健康センターの人事がバタバタした時があって半年で12日呼ばれたことがあった。
流石にこの時はローテーションがおかしいぞと文句を言った。
手伝いたくないわけではないが数学的におかしいのが許せなかった。
これだけ多くの実行委員がいたらその確率はあり得ない。
きちんとローテーションを組むように!と
そんな感じで決して積極的にやっている訳ではない。
じゃ患者さんに嫌われているかというとそうは思わない。
私は普通に接するから
障害者と一括りにしてしまっているが色々な方がいる。
で、おそらく感じるのだと思う。
決して私があなたを傷つけようとしていたりあるいはバカにしていたりはしない事を
障害の程度にもよるけれど相手が危険かどうか本能的に感じることは生死にかかわる事だから分かるのだと思う。
どうしようもなく暴れて治療を嫌がる人もいる。
その人にはどうする事も出来ない。
安心させれば治療させてくれるタイプだと私が付けば大体おとなしく治療させてくれる。
だから私も淡々と治療を進めていく。
私が苦手なタイプがいるとしたら健常者上がりの人
障害者も色々な方がいるが
最近事故で障害者になりました的な人でなかにオラオラ系がいる。
長く障害者をやっているとどこかあか抜けてくる。
まだ変なプライドを持って俺は障害者だからと無茶を言ってくる人がいて困る。
困るけれど「それは出来ません」と言って断ることにしている。
思うのだけれど健常者の方が拗らせがちなのだよね。
健常者って私から見たらどうでもいいようなプライドを持っていることが多い。
私はこんなスタンスで障害者と接している。

私は「それは偽善じゃない?」と言った。
そうしたらその知人は大変怒った。
その時はそんな感じで雰囲気が悪くなってしまった。
でも心の中でいつか説明する日が来るからいいやと思っていた。
しかし、実際には説明をする機会がなく疎遠になってしまった。
この事は未だに心残りだ。

小学4年の時に父の仕事の都合で千葉から名古屋に転校した。
転校したことがある人なら分かるだろうが何とも言えないアウェー感
それは小学5年になっても続いていた。
同じクラスにカッタクという耳の不自由な同級生がいた。
本当は特別学級みたいなところへ行くのかもしれないが母親の強い要望で普通学級に通っていた。
小学5年生なんてバカが多いから中には耳が不自由な事をからかう奴もいた。
ただ同時の担任の加藤聡先生は結構きちんとした人だった。
もしカッタクの事をからかったり殴ったりしたことがバレたら即呼び出されて説教される。
時にカッタクが教室からいなくなる時があった。
耳の検査とか言って1時間ぐらいどこかへ行ってしまう事があった。
その時は加藤聡先生はクラスの児童に対して耳が不自由だから差別をするようなことはいけないと
本人がいない所でとくとくと話をしていた。
どれだけの割合の児童が理解していたかは分からないが加藤聡先生のお陰でカッタクに対する風当たりはだいぶ減っていたはずだ。
もともと私は先生に言われなくても耳が不自由という事で人をからかったりする人間ではない。
でも困っちゃうのはカッタクに問題があったのだ。
耳の問題じゃなくて嫌な奴なんだ。
何だか知らないけれど私に付きまとい意地悪ばかりをしてくる。
先生が向こうを向いている時に私を叩き私が反撃しようとすると絶妙なタイミングで先生がこちらを見る様な事を仕掛けてくるのが異常にうまかった。
先生から見るとまるで私がカッタクをいじめている様に見えてしまうので凄く腹が立っていた。
正直ウザいのでなるだけ相手にしないようにしているのだが何か知らないが付きまとってくる。
クラスの他の人間にはしないがなぜか私にだけにやって来る。
流石に本気で殴ってやろうかと思ったこともあった。
私は身長が伸びるのが中学生でピタッと止まってしまったが小学生の頃は大きかった。
片やカッタクは小っちゃかった。本気になったら・・この野郎とと思っていた。

事が動いたのは宿泊学習の時であった。
宿泊施設のトイレが和式であった。

正直40年前には公共施設とかは和式があったけれど私が使う事はまずなかった。
島根の田舎でぼっとん式便所を数回使ったぐらいだった。
この宿泊施設には和式しかなかったので朝のウンコをする時に使うしかなかった。
若い世代の人はどう使うか知らないかもしれない。
いや、私も当時使い方が良くは分からないけれどなんとなく

こういう空気椅子みたいな感じでするのだろうな思っていた。
(私の画力ってこんなものだったっけ?)
(こういう絵で実力を出さなくてもいいか)
で、使い慣れていなかったからズボンを全て脱がないで少しずらしただけでウンコをしようとした。

これぐらいの年齢
小学校の高学年から中学ぐらいまではエッチな事を考えていなくてもオチンチンが突然硬くなることがある。
本当にエッチな事を全く考えていないのに勃起するときってあるんだよ。

でこの時に何だか分からないけれどオチンチンが勃起しちゃった。
(やっぱりこれぐらいの画力で描いて置いて正解な絵だ)
でもしょうがないじゃんそのままウンコをするしかないと思って
ウンコをしようと思って「ウン」と踏ん張ったらウンコも出たのだけれど
一緒にオシッコもちょっと出ちゃったのだよ。
あら大変・・・ズボンがオシッコで濡れちゃった。
どこか知らないデパートとかだったらいいけれど
宿泊学習だよ・・他のクラスメイトに知れたらえらいことになる。
焦りつつもウンコを終わらせてそーっと部屋に戻り着替えのズボンを取って来て
もう一度トイレに戻り新しいズボンに履き替えて
濡れたズボンをカバンに詰めて
誰にも気づかれなかった。
セーフと思った時に
トントンと肩を叩く奴がいるから振り返ると
カッタクが立っていたのだよ。
で声に出さないのだけれど
口の動きで
「漏らしちゃった?」「漏らしちゃった?」
こいつ俺に付きまとっているから気づきやがった。
まだ他のクラスメイトだったら良かったのに
普段、さんざん嫌がらせをしてくるカッタクに気付かれた。

宿泊学習から家に帰った後にはもうそのことで頭が一杯
カッタクがみんなにばらすぞ。
オシッコを漏らしたんじゃない。
勃起した状態でウンコを踏ん張ったら濡れちゃったんだ。
そんな説明なんか小学5年生の男の子に出来ないよ。
終わった。
宿泊学習後の休み明け凄い暗い気持ちで学校へ行った。
クラスに入るとカッタクがやって来た。
でも何かいつもと違う感じで柔和な感じなのだ。
クラスの他の連中がズボンを濡らした様子を知っている風でもない。
それで何日か過ぎるのだけれどカッタクが凄くフレンドリー
叩いたりとか一切しなくなった。
色々と話しかけてくる。
耳の不自由な人って難聴なまりがあって声を出して話しかけることを躊躇する事が多い。
補聴器から入る音声を参考に音を覚えるから
健常者と発音がちょっと違う。
でも聞き慣れれば別に問題ない。
カッタクは私に対してなんの遠慮もなくガンガンと話しかけてきた。
私も意外と素直な性格なので相手に親切にされると私も親切にしてしまう。
結果、何だか分からないけれど私はクラスでカッタクと一番仲の良い友達になった。
加藤聡先生も何でこの二人が仲良くなったのか分からなかったと思う。
私にはこんな経験があった。

患者さんで補聴器をかけた小学生がやって来た。
虫歯の治療をしようとすると
「え~~~いやなんだよな~~」
耳の不自由とか関係なくこういう発言を聞くといつも
あなたがしっかり歯を磨いていないせいでしょ!
私は好きでやっているのではない頼まれてやっているのと心の中でつぶやく。
でも驚いたことにその子の発音が素晴らしい。
健常者と同じ。
この40年で補聴器がだいぶ良くなって難聴なまりは無くなったのか?と思ったが
テレビのCMを見てそれは間違いだと気が付いた。
聖教新聞のCMで小学生ぐらいの耳の不自由な女の子が図書館の司書さんに
「ありがと」と言って本を返すシーンがあるが
カッタクと同じ難聴なまりだ。
耳の不自由な程度によってなまるかなまらないかがあるのだと理解した。

小学5年のカッタクの事があったからなのだ。
完全に耳が聞こえない場合は手話しかないが
少し聞こえて難聴なまりが恥ずかしくて話せない相手には
思い切って喋ってもらった方が距離が一気に縮まるのだ。
難聴なまりをからかう様な奴は相手にしなくていい。
そんな連中に関わっても時間の無駄。
本当に仲良くなりたい相手がたまたま耳が不自由だったら「気にせず話そうよ」と言った方が良いのじゃない?
という話をしたかったが
いずれ話す機会があると思っていたがそれは叶わず疎遠になった。

意地悪されていた時も仲良くなった時もとにかく私に付きまとってきた。
それは間違いない。
カッタクの押しが凄かった。
その理由が当時私には全く分からなかった。
ただ結構最近その理由が分かった。
当時の担任の加藤聡先生とてもまじめで良い先生だった。
カッタクが耳の検査でいない時間にクラスの生徒に差別をするなと心を砕いて説明していた。
カッタクを傷つけないために本人のいない所でやっていた。
でもカッタクは大人だからそのことを知っていたのだよ。
自分だけ呼び出されてクラスでそういう話が行われていることを
特殊学級に入れないというのはお母さんの方針だったけれど
普通学級に居ながら凄い疎外感を感じていたのだと思う。
で、私はバカで子供だからごく最近まで気が付かなかった。
加藤聡先生は真面目だからおそらく
私が何かの用事で呼び出されてクラスに帰ってこない間に
私に対して差別をするのではないとか話をしていたのではないか?
それだとカッタクが私に付きまとった理由が分かる。
このクラスにお仲間がいるとしたら私だけだから。
善意のつもりだろうが影でこそこそやられるのって結構堪えるよね。