山内 消される

今日のZIPで真面目なニュースの時にかまいたちの山内さんが一時的にスタジオの外に出された。

なんで?みたいな気持ちがよく分かる!

周りは何か変なことをしそうと思っているのかもしれないが私が一番しっかりしているだろ!みたいな気持ち。

私はテレビの仕事をしていないが普段よくある。

私抜きで事を進めようと影でこそこそやられること。

私が一番しっかりした意見が言えるのだよ!

真面目にやらなくていい所では常にフザケているけれど、やる時はやるから!

というか私を抜きにすると発展的で新しいアイデアなんか出ないだろ!

気持ちがわかるわ~~

でも今日の山内さんについては自分の仕事をする所で出来ていなかったのでしょうがないか。

金太郎飴のデザインは何でしょう?

という所で濱家さんが「何か言え!」と言っているのに何も言えなかった。

正解が双子のパンダであることはすぐに分かる。

正解が分かると余計にボケにくいのも分かる。

目の錯覚と言うか、パンダの図柄が浮かんでしまうとその後パンダにしか見えなくなる。

それでも何か言わないといけない。

「ほうれん草のソテー」

あの尺で私が思いついたもの。そんなに面白くないけれど「ナニソレ?」ぐらいにはなるかな。

パンダの名前まで覚えていると分かっちゃいるけれど間違いましたみたいなボケが浮かぶと思う。

パンダの名前が決まったニュースを聞いたがいかにも中国っぽいと思ったが覚えようとしなかった。

好奇心が無くなってきている、老化現象が進んでいるなぁ~~~

世の中にユーモアの無い人っているのだけれど

はっきり言って頭が悪いのだけれど・・

勘違いをしているのだよね。

「笑いを生むには常識を破れ」みたいな話をどこかで聞いてきてそのまま信じているのだよね。

その結果

ユーモアのある人=非常識な人

と間違った認識をしているのだよね。

まあ、頭が悪いから・・

ユーモアに大事なのは常識です。

何度も同じ話をしていて嫌になるのだけれど

ゲーテが「何を面白いと思うかがその人間の本質を表す」のような事を言っていたと思う。

その通りなのだ。

ユーモアを出す時に必ず常識がどこにあるかきちっと見据えていないといけない。

でその上で常識を破るもよし

キワキワを攻めるもよし

あえてあまり攻め過ぎず少しの違和感を出すだけでも良い(これを使う時は後に続く大ネタへの誘導になることが多い。大ネタがあまりにぶっ飛びすぎると多くの人が付いてこれないのでわざと事前にエサを撒いてこちら側に来るように誘導しておくの、それをいくつか続けてこちらへ引き寄せたら頃合いを見て本命のネタを披露するの)

頭の悪い人の常識って○と✕の二通りしか無い。

常識① 人を殴ってはいけない ○

常識② 人を殺してはいけない ○

これは普段、常識なのだけれど重みの違いがある。

現代日本においては①は時に破っていいが②はダメ、同じ常識でも違いがある。

でも頭の悪い人たちのなかでは①も②も同じ位に守らないといけない常識と思っている。

いや、そうやって覚えるのが精一杯なのだと思う。

自分の頭でこの常識はどれくらい確からしいか常日頃から検証していない。

①は時に破っていい常識だ。

例えばとても親しい間柄だったり

漫才のツッコミだったり

逆にダメな場合は

人を傷つけることが目的であったり

殴って物を奪うのがもくてきであったり

頭の悪い人たちはその差を分からないので一律に線を引いて欲しいと言いがちである。

どこかに一律に線を引くというのは実はとても難しい。

文化、人物、状況などの多くの環境因子に物凄く影響をうけるからだ。

ざっくり言うとスキンシップはあり暴力はなし、
それがどこに境目があるかは状況によって違う!

大事なことは自分の頭を使ってその常識がどの程度重要で普遍性があるかを考えることだ。

有名な言葉で「常識を疑え」という言葉がある。

これに近いのだが私の言いたいことは少し違う。

「常識を疑え」では常識に対して少しネガティブな意味合いが強くなってしまう。

あえて言えば

「その常識を測れ」

全ての常識を一緒くたにするのではなく、今対峙しているその常識の価値、重要性、普遍性などを良く検証してみる事だ。

人の歴史は悲劇の歴史だ。

その多くの悲劇は人間の手によって行われてきた。

その悲劇は何度も繰り返される。

なぜ繰り返されるか?

それは反省をしないからだ。

誰が反省をしないのか?

独裁者ではない。

常識を盲目的に信じてしまう頭の悪い人たちである。

厳密に言うと反省しないのではない、反省する能力が無いのである。

常識① 人を殴ってはいけない ○

常識② 人を殺してはいけない ○

に加えてある時に為政者が

常識③ ただし〇〇は殺さないといけない ○

とした時にその常識を測らずにそのまま信じ込む頭の悪い人間が相当数いる。

〇〇には何をいれてもらっても構わない。

魔女でも異教徒でも〇〇人でも・・・

常識を測らずに信じてしまった人々は嬉々興々として〇〇を殺し始める。

そしてそのことを誇らしげに自慢する。

そう彼らにとって〇〇を殺すことは善行なのだ。

そして時代が変わり

〇〇を殺すことはいけないことだとなると誰かが言う

私達は為政者に騙されたのだ。

そして自らの責任回避をする。

若い頃私はこういう人間の行いを見て思っていた。

普通の人間は悪魔的要素を主体とした生き物である。と

今は少し考え方が変わった。

為政者に騙されたのだと心の底から思っていて、頭が悪いので自分の行った悪行を忘れてしまうのだ。

悪魔的というより純粋に覚えていられないのだ。

もう随分と前に読んだ「アンネの日記」

ほとんど忘れてしまったが

人として生まれてきてその青春時代を屋根裏部屋で過ごさなければ少女

そして最後には強制収容所に送り込まれる事になってしまった少女

の事を思うととても悲しい気持ちになる。

もう一つ思うのはアンネ・フランクを匿った家の主人のことだ。

おそらくクリスチャンであろう。

当時の常識は「ユダヤ人は収容所に送る」であった。

自分の頭で常識を測り、その常識は間違っていると判断したのだろう。

判断することは出来ても実行するには勇気がいる。

凄いことだ。

私はドイツ人が悪いとか言っていない。

全ての人類の中にいる

盲目的に常識を覚えて残忍な行動をする人と

常識を測り、従うものと従わないものを自分で判断する人が

いじめなんかもそうだよね。

一部の少し賢い煽り立て屋と大多数の頭の悪い人間たちが行う。

あいつをいじめるのは常識だよね。と

常識を頭ごなしに覚えるのはバカの特権だが間違っている。

とても危険だ!

常識を測るのだ!これが正しい。

その常識の重要性、普遍性がどの程度あるか理解するのだ。

これぐらいは、いじっていいよという所がどこら辺か探るのだ。

ユーモアというのは常識いじりの練習にはもってこいだ。

ゲーテの言葉の繰り返しだが「何を面白いと 思うかがその人間の本質を表す 」だ。

仲の良い者同士のどつきあいって日本特有という分けでも無いようだ。

歯科インプラントの講習会を日本で受けたときのことだ。

講師の先生はフランス人とスペイン人であった。

二人とも貴族

日本の自称小金持ちとはスケールが違うから

自分の家で畑からワインを作っちゃたりする人たち。

凄い楽しい講習会であった。

この二人が凄く仲が良い

インプラントの講習会なのだが

二人で掛け合いをしていてずっとフザケていた。

面白かった。

私はフランス語もスペイン語も分からない。

その講習会は英語でやっていた。

もちろん私は英語も分からないのだが同時通訳が付いていた。

でも身振り手振りでだいたい言っていることの意味が分かった。

私は1番前の席で見ていた。

二人は私がゲラゲラ笑っている様子をみて益々ヒートアップしていった。

あるタイミングで相方をどついた

その力の入り様が凄かった。

それは完全にパンチだろ!ぐらいな感じ。

でも、その二人はゲラゲラ笑っていたのだが

私はそれを見て顔が引きつっちゃった。

ゲラゲラ笑っていた二人が1番前で顔を引きつらせている私を見て

バツの悪い顔をした。

そこから二人のテンションがだだ下がって

最後の方には普通のインプラントの講習会になった。

正直申し訳ないことをしたと思ったが

日本人の私が見たらそのどつき方は力が入りすぎだろうと言う気持ちが顔に出てしまった。

私の少ない経験ではあるが

仲が良い者同士のどつきあいって万国共通であると思う。

自粛警察の人達も

常識④ 飲食店は自粛するのが正しい。 〇

てのが

常識② 人を殺してはいけない 〇

②も④も同じぐらいの重みなのだと思う。

差が分からないで思い込みで自分は善行をしていると思い込んでいる。

困ったものです。